ヘッドホンシステム評価基準の一例(後編)
2022-12-05
また時間が空いてしまった……。私がヘッドホンシステムを評価する際、どういうところが気になるのかと言う話をつらつらとしていた、その後編です。前回のお話の続きですので、前回の記事をご覧になってない方は、先にそちらをご覧になることをお薦めします。
相変わらずすごく感覚的な話が主なので、ピンとこない方も多くいらっしゃると思います。そういう観点もあるのね、と思ってもらえると助かります。
音像
音像には芯があり、その周りに暗騒音など雰囲気感を含めた情報があり、徐々に背景情報へとグラデーションをしつつ、最後は収束することになります。これが三次元的に広がりを見せていくことになりますが、その芯、周り、背景情報の滑らかな切り替わり、空間への広がり方、耳への伸び方が自然界の音に近いことが望ましく思います。これらがおかしいと、普段聞いている音と乖離しますので、そこにどうしても違和感を感じてしまいます。
ですので、ある意味、どこまでも広がるとか、凝集されているとか、そのような感覚は求めていないということになります。広がりが強すぎると、音像の芯が薄れて発散していくように感じられ(同時にそうなる機材が多い)、音にフォーカスする際の手がかりを失ってしまうことが多いです。
音場
私の耳は左右で聞こえ方がやや異なるため、定位を正しく把握するのが難しいこともあるのですが、かなり集中して聴くことでなんとかレイヤー感を感じることまではできています。
一方でヘッドホン特有の音場の形というのは、ある程度許容しています。もちろん前に定位してくれればそれはいいのですが。私はよく前のめりな感じ、音場に首を突っ込んでいるような感じと表現することが多く、これはスピーカーから入られた方だと気にされるのかもしれません。
私はヘッドホンから始まっているので、その辺は妥協点かな、とか思ったり。ただ、例えば LCD-5 なんかは音場空間の折りたたみが非常に上手なイメージです。
ダイナミクス
今までの要素は、曲中で音量を含めて様々に変化していきます。私は、それらをひっくるめてダイナミクスと呼んだりしています。その変化の幅や大域的(マクロ)に変化しているか、微細的(ミクロ)に変化しているかなどの観点があります。ダイナミクスの連続性やレンジが失われると、楽器や曲本来の抑揚やニュアンスが聞き取りづらくなるかな、と思っています。
これらの観点が、今のところはそのバランスが取れていればよいのかな、と感じています。私は結構細部が気になりがちなので、このあたりはいつも反省するところです……。
と、これらが私がヘッドホンシステムを聴くときに感じることがある要素の概要になります。こういうのって人によって様々な評価基準があると思っていて、それらを比較しながら、いいところを取り入れていきたいですね。ですので、私は色々な方の評価基準を記した記事が増えてくれないかな、と願っています。もちろん自分の耳の限界はあるとは思いますが、少なくとも意識して聴くことはできるし、考え方自体も勉強できますから。
私は、いいように言えば、考え方や聴こえ方は時々アップデートされていて、悪く言えば、ミーハーで経験がまだまだ不足しています。みんなよく一本筋でやっていけてるよなあ、すごいなあ、といつも思っています。しかし、自分がミーハーだと分かってる分、人のヘッドホンとか機材の感想はちゃんと自分でも確かめる努力はしてるつもりですし、その方が妥当だと思ったら、間違ってたことをきちんと認めつつ、考えを進めているつもりです。
本質的には「音楽が聴きたい」のが第一のモチベなので、機材に関しては、愛着や工夫による変化を楽しむこともありつつも、そこまで拘りがないとも言えそうです。これは第二以降のモチベなのかな、と思っています。
音楽を聴く際には(だからこそなのかもしれませんが)、「それっぽければ」みたいな、音源・演奏としての妥当性?を要求していて、自分の気持ちよくどうこうというのは、妥当性を前提にした上での話だと考えているのかもしれません。そういうところを大事にしていきたい、というスタンスです。
もちろん、自分が良さを感じる方向に機材でしっかり演出することで、自分の満足度をより高めていったり、機材に愛着を持ち、機材を活かして音楽を楽しみたい、というのもありうるとは思います、そこは人それぞれでしょう。私はちょうど上のスタンスなので、その良さをアピールできるように、というと烏滸がましいのですが、そういう観点での気づきみたいなのが得られるような記事を目指していきたいです。
やっと着地点に辿り着いた……。前編を上げた後、ずっと「ここから話にオチをつけようか……」と悩んでいたのですが、うまくまとまってよかったです。え?最後は Twitter の丸パクリだって?なんのことかな??